マーフィー(@murphy_0117)です。
私は17歳の時に学校に行けなくなり不登校になりました。
その時のことは今でもよく覚えています。
当時の自分を振り返ってみると、
学校にも馴染めず、勉強も部活も上手くいかず、何もかもうまくいかなくて
ついに限界を超えて爆発してしまったのでした。
心配した両親が、私を病院に連れて行きました。
そこで診断された医師から
「ちょっと軽いテストをしてみましょうか。」
と言われ、積み木の組み立てやペーパーテストを何枚しました。
その検査結果から、
「軽いアスペルガー症候群の傾向があると思います。」
と診断されました。
私はその宣告を聞いてとても喜びました✨
なんせ長年抱えていた生きづらさの正体がやっと分かったのですから。
この時、高校3年生の17歳でした。
しかし、この時の私は長年の生きづらさの原因が分かっただけで
その後、発達障害についての治療を何も受けようとしなかったのです。
目次
障害者であることが判明したその後の人生
当時の私は正直生きづらさの原因が分かって浮かれていただけで、
発達障害についての知識は何一つ知りませんでした。
更に発達障害のことを何一つ対処しようとせずに、大学進学してしまったのです。
その後は、半年ほど経つと再び体調がしんどくなり、大学を不登校に…
1年ほど経った辺りで、急性ストレス反応という病気になり
更にうつ病になりと、坂道を転げ落ちるように転落して行きました。
そこで改めて検査をした結果、広汎性発達障害(ASD・ADHD)と断定されました。
(この時既に20歳でした。)
こうして、ここから私の発達障害者としての第2の人生が始まるのでした…
発達障害を受け入れるまで
発達障害を受け入れるのは簡単なことじゃありません。
急に「あなたは今日から障害者です。」と言われて、
「はい、そうです。」と頷ける人はそうはいないと思います。
私は17歳の時に生きづらさの原因が分かったと安堵はしていましたが、
発達障害者として生きることを受け入れるだけの器量はまだ持ち合わせていませんでした。
現に私は20歳の時に改めて、障害の宣告をされても中々受け入れることが出来ず
仕事も一般雇用に勤めたり、様々なイベントに行って友達を作ろうとアクティブな行動をしていました。
しかし、24歳になった頃に3度目の限界が来ました。
仕事も出来ず、友達も出来ずと、上手くいかないことだらけの日々を過ごすうちに
自分は障害者なんだということを自覚するようになったのです。
その後、私はイベントに行くことも一切辞め、仕事も障害者雇用に転職しました。
自分の中にある発達障害を受け入れたのです。
そして現在へ
現在は障害者雇用で働きながら、通信大学で勉強する日々を送っています。
一度ありのままの自分を受け入れて、再び前へ進もうと思い障害者雇用で就職をし直しました。
仕事にも慣れてきたころに、他の活動もしたいと思い、通信大学に入り、デザインの勉強をしております。
一般の入学は特性上厳しいですが、通信大学ならいけると思ったからです。
そこで自分が今まで苦労した来たことや経験したことが、誰かの役に立つんではないかと考え、このブログを立ち上げました。
もし私の人生体験が誰かの役に立てたのならば、とても有り難いりことだと思ったからです。
記事数もまだまだ少ないですが、今後もコツコツと継続して、アップしていきたいと思います。
以上、ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございました!
コメント
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